【写真・アンコール遺跡】トマノンとチャウ・サイ・テボーダ〈前〉
遺跡を歩いていると、足場が組まれた作業現場にたくさん出会います。修復工事の現場です。アンコール遺跡は、浸食や風化による損壊が進む一方で、次々に再建されていく、今も変化をし続けている遺跡なのだなあ、という印象を受けました。
↑遺跡の中に設置された看板。国旗は、遺跡修復に携わった国・団体のもの。赤と青の国旗はカンボジア国旗です。絵柄はアンコール・ワット。かっちょいい。
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アンコール遺跡群で近代的な修復活動が始まったのは1908年、フランス極東学院によるものでした。以来100年近く、保存作業は試行錯誤を繰り返しながら続けられています。技術や修復思想、修復資材は、時代によって移り変わってきました。
現在は、世界各国の研究団体が集まって、発掘調査や遺跡修復/保護活動をしています。アプサラ機構*1のような全体をとりまとめる機構はありつつも、各プロジェクトは独立していて、進行状況や手法は様々。担当の配分はこんな感じ。
- フランス: パブーオン寺院、ライ王のテラス、象のテラス
- イタリア: プレ・ループ寺院
- インドネシア: アンコール・トム王宮の門
- アメリカ: プリア・カーン寺院
- ドイツ: アンコール・ワットの回廊浮き彫り
- 中国: チャウ・サイ・テボーダ寺院
- 日本: バイヨンの北経蔵、西トップ寺院、バンテアイ・クデイ寺院
他にもいっぱい。国際色、豊か!
各国がしのぎを削る姿は、「遺跡保存修復オリンピック」とも呼ばれています。うん、確かにオリンピックっぽい。お国柄も出るようで、日本は「工期が長くお金もかかるけれど仕上がりはいい」と言われていました。うん、確かに日本っぽい。
遺跡の保護と修復に、国の違い、時代の違いがあらわれているのも、アンコール遺跡の面白いところだと思います。
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トマノンとチャウ・サイ・テボーダは、修復方法の違いが素人目にも分かりやすい遺跡でした。トマノンは50年ほど前にフランスが、チャウ・サイ・テボーダは3年前に中国が修復をした寺院です。この二つは、創建者が一緒。*2同じころに設立された、同じような設計の、同じくらいの規模の寺院です。おまけに道を挟んで向かい合っているので、見比べやすーい。そのへんの雰囲気が写真で伝わるといいのですが。
今回は、1960年代にフランス人保存官ベルナール・フィリップ・グロリエの主導によって修復された寺院、トマノンの写真を、纏めてみました。
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トマノン寺院 Thommanon
- 12世紀初頭
- スールヤヴァルマン2世
- 平地型
- ヒンドゥー教
恒例(にしたい)、手書き地図。更新が滞っていたのは、この地図を書くのに早くも飽きた力を入れすぎたからです。
寺院手前の地面は少し窪地になっています。お堀の跡なのだとか。
窪地を登りきると、中央祠堂が直に眼前に迫ります。どうでもいいことですが、右端の人物が私です。シンガポール人とタイ人の2人組に、シャッターを切ってくれと迫られているところです。
東側から中央祠堂の方を覗くと、こんな感じ。門から建物を通って祠堂にたどり着くには、何度も昇り降りを繰り返す必要があります。このような造りや、十字形の祠堂のかたちなどが、後のアンコール・ワットの造営に生かされたそうです。
基壇の高さは2.5m。小規模な遺跡ですが、高低差が大きいため、かなり広く感じます。
端正な印象の中央祠堂。よく見ると、繊細なデバダー(女神)像が彫られています。
ほらね。
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チャウ・サイ・テボーダは、また次回。