サンタさんの本、大人向け。/「サンタクロースの秘密」クロード・レヴィ=ストロース, 中沢新一

サンタクロースの秘密 (serica books)

サンタクロースの秘密 (serica books)

「サンタクロース神話」を分析した本。
2本立てで、前半にレヴィ=ストロースの論文「火あぶりにされたサンタクロース」、後半に中沢新一の「幸福の贈与」が収められている。



◇◇◇◇◇


早いもので、もうすぐクリスマスですね。街中もお店も電飾やらはっぱやらの飾り付けでえらいことになっていますが、皆様いかがお過ごしですか。表題に「大人向け」と書いたし遠慮なくぶっちゃけますけども、プレゼント対策に奔走されているサンタクロースなみなさま、どうもおつかれさまです。


「サンタ」と「クリスマス」を快く思っていない方々にとっては苦々しい季節だと思います。海外文化の劣化コピーだ、カネにまみれたイベントだ、という声が聞こえてきそうです。本題からずれますけど、企業が絡んだりした「習俗」って、文化的に低く見られる傾向がありますよね。どうしてなのかしら、と、素朴な疑問を抱いています。「経済活動によって発生・伝播した文化」をどういうふうに捉えたらいいのかなぁと思っているのですが、そこまで大風呂敷を広げるとあとがこわいので、今回はこの話はメモだけに留めたいと思います。



もともとサンタクロースは、資本主義のシンボルとして、また、異文化からの侵入者として、非難の対象になりやすい存在です。たとえキリスト教社会であっても、です。60年ほど前のフランスでは、カトリック教徒によってサンタクロースが火あぶりの刑に処せられる、なんていう、かなり過激な事件も起きています。


この論文で、人類学者レヴィ=ストロースは、火あぶり事件を俎上に載せ、「サンタクロース」という人物と行事の本質を、明らかにしていきます。
短くて読みやすい本ですが、内容はぎっちりですよ。鼻血でそう。



今でこそピカピカキラキラしているフランスのクリスマスですが、昔は、どちらかというと、ひっそりした厳粛な降誕祭が主流でした。それが第2次世界大戦後、またたく間にきらびやかなクリスマスへと様変わりしました。


急激な変化のきっかけはアメリカです。戦後のマーシャル・プラン政策でアメリカからの輸入が増え、同時にアメリカ式の派手なクリスマスも広がっていったのです*1


フランスの聖職者たちは、宗教的で厳粛な従来の祝い方が、「米国式」のクリスマスに押しやられていくのを、黙って見てはいられませんでした。派手なクリスマスの先導者として、サンタクロースを攻撃し、告発します。

サンタクロースなる人物は、大衆がこの記念祭に対していだいているはずの、厳密にキリスト教的な意味をねじまげて、宗教的な価値のない、ただの神話の方向に逸脱させてしまうおそれがある(p.8)

そしてついに、「現代人の心に宿る異教的傾向(p.55)」を呼び起こす異端者として、サンタクロースに有罪を宣告。
1951年12月24日、ディジョン大聖堂正門前広場で、サンタクロースを公開処刑したのです*2。素人目にはかなりシュールな光景に映るできごとですが、関係者たちはもちろん大まじめ。当時の新聞記事の引用を読んでみても、教会に気を使っている様子がありありと伝わってきて、まぁさぞかし扱いにくい話題だったんでしょうなぁと思います。最近にも、こんなことが。→「サンタは失せろ!クリスマスの象徴は聖ニコラス ドイツ : AFPBB News」



そんなにカトリック教会に嫌われちゃった「サンタクロース」とは、一体、何だったのか。


まず、わたしたちがよく知っている<サンタクロースという名前の人物>がアメリカの発明品であることを、確認しておきたいと思います。サンタクロースは、キリスト教の聖人セント・ニコラウスを元に作られた、かなり新しめの伝説です*3


それでいて彼は、古い信仰とも繋がりがあります。たとえば古代ローマのサトゥルヌス祭や、もっと昔の樹木崇拝、冬至の収穫祭などなどです。これらの昔の宗教は、もうすっかり衰退して、各地の習俗に名残を留めているだけでした。サンタクロースは、それらの習俗の断片を飲み込んで、収斂し、「サンタクロースのお祭り」として、現在に甦らせました。彼が背負っている大きな袋や、ヒイラギや、枕もとの靴下や、ろうそくで輝くツリーは、そうした古い習俗の名残です*4


サンタクロースは、いわば習俗のごった煮、ハイブリッドな「神」です*5。子供に贈り物をするというお祭りのやり方そのものも、異教信仰の祭礼にそっくりな構造をしています。


サンタクロースの飲み込んだ、古い「冬のお祭り」は、サンタよりもっと昔、キリスト教と融合して「伝統的なキリスト教のクリスマス」の基になったお祭りでもあります。キリスト教が頑張って異教の祭りを「キリスト教の祭り」に整えたというのに、サンタクロースは、そのお祭りのド真ん中に現れて、異教の神々の祭礼を再現しちゃったことになります。そりゃ教会の人たちも怒るよネー……だからって火あぶりはやりすぎだと思いますが。



サンタクロースが再現した、「異教の神々のお祭り」。
その特徴は、下記のような点に表れています:

    • 子供は信じていて、大人は信じていない*6
    • サンタクロースは、よい子に贈り物をする(悪い子には、贈り物をしないという「罰を与える」)


サンタクロースを信じているのは、子供だけです。大人は、サンタクロースのことをあの手この手で子供に信じ込ませようとするくせに、自分達はちっとも信じていません。サンタクロースのお祭りのあいだ、ひとびとは、信じる/信じないという基準で、子供と大人の2集団に分割されることになります。


子供たちは、サンタクロースの正体を知ることで、大人のグループに仲間入りをします。こんなふうに<ある知識を伝えられている人/伝えられていない人>に分かれてお祭りを営む仕組みは、通過儀礼やイニシエーションの祭礼の特徴と考えられています。


人類学では、この2集団の対立によって表現されるものが、「差異の構造」であるとしています。ちょっと乱暴に話を飛ばしますが、「子供対大人」という2元性の構図が表すものは、「死者と生者という、より根源的な対立の構造(p.37)」です。


二つに分けられた集団の、片一方が死者を体現するとき、もう一方は生者をあらわす、という解釈。レヴィ=ストロースは、この解釈が、あらゆるイニシエーションの儀礼に適用可能であると言います。
もちろん、サンタクロースのお祭りにも、です。



秋から冬(冬至)にかけての時期は、「夜が昼をおびやかすように、死者が生者をおびやかす(p.47)」長い危険な期間、と考えられています。この時期にアングロ・サクソンの国々で行われる祭事について、レヴィ=ストロースはこのように説明します。

まず、生者の世界に、死者がもどってくる。死者は生者をおどしたり、責めたてて、生者からの奉仕や贈与を受け取ることによって、両者の間に「蘇りの世界(モンド・ヴィヴェンディ)」が、つくりあげられる。そして、ついに冬至がやってくる。生命が勝利するのだ。そののちクリスマスには、贈り物につつまれた死者は、生者の世界を立ち去り、つぎの年の秋まで、生者がこの世界で、平和に暮らすことを認めてくれるのである。(pp.48-49)

そして、現在のアメリカで行われていることを例に挙げ、秋の始まりの祭りがハロウィン、冬至の祭りがクリスマス(サンタクロースの祭り)であること、また、これらの祭りの目的が生者と死者との交流であることを、指摘しています。


生者と死者の祭りでは、「死者」を表現するひとが必要です。私たち生者の世界の中にいて、死者を体現できるひと。それは、「なんらかの意味で、社会集団に不完全にしか所属していない人々(p.50)」がふさわしい。たとえば、外から来たばかりの人や、身分の低い人、あるいは、知るべきことをまだ知らされていないような人が。


サンタクロースの祭りの場合、その役割を担っているのは、一年に一度外国から来るおじいさん*7と、子供たちなのです。



サンタクロースのモデルになった冬のお祭りには、大人たちが恐ろしいお面をつけて、「悪い子にはお仕置きじゃあぁ」と子供を脅して回るような、荒々しいものが見られます*8。それに比べると、サンタさんは随分優しくなったものですが、子供たちを大人のルールに従わせようとする働きは変わりません。


私たち大人は、「いい子にしていればサンタがプレゼントをくれるよ」と言って、子供たちを制御します。
更に、クリスマスに日にちを設定することで、子供の欲望をかなえる期間を限定しています。(クリスマスまで、子供達は贈り物を我慢します。)


サンタクロースのお祭りは、子供たちを大人のルールに従わせて、その見返りに贈り物をするという、大人と子供で結ぶ「取り引き」です。(このことは、子供が対等な取り引きに足る存在であること、贈り物をもらう権利を有していることも、示しています。)子供が死者を体現している以上、大人が取り引きしている相手は、死者にほかなりません。



昔は、脅しつけるように、厳しく対峙しなければならなかった「死」に対して、私たちは贈り物をするだけで事足りるようになりました。子供との取り引きが温和になった理由について、レヴィ=ストロースは、現代は「死に対して、イニシアチブがとれるようになったため(p.52)」と言っています。社会が変化して、死や寿命をある程度コントロールできるようになった現代、神々は昔のようには存在できない。そこで発明されたのがサンタクロースなのです。


私たち大人が、現在、子供たちを通して交流している「死」は、昔のように絶対的な恐怖を伴うものではありません。「むしろ、死そのものが表象しているすべてのもの、生活の貧困や旱魃や飢えなどをとおして、死を考えようとしている(pp.52-53)」のです。


子供への贈り物、恵まれない人への寄付、立場を越えた交流。クリスマスによく見られるこうした光景は、「現代における死」への思いやりからくる贈与です*9

クリスマスの贈与。それは生きていることの穏やかさに捧げられた「サクリファイズ(供養)」なのだ。生きていることは、まずなによりも、死んではいないことによって、ひとまずの穏やかさを実現しているからだ。(p.54)

ほんの短い間であってもよい、あらゆる恐れ、あらゆる妬み、あらゆる苦悩が棚上げされる、そんなひとときを、わたしたちは望んでいるのではないだろうか。たぶん、私たちは完全には、サンタクロース幻想を、共有することはできない。それなのに私たちは、この幻想を守る努力をやめない。なんのために?たぶん、私たちは、その幻想が他の人々の心の中で守られ、それが若い魂に火を灯し、その炎によって、私たち自身の身体までが温められる、そんな機会を失いたくないのだ。(pp.53-54)


贈り物をすることで、私たちは、自分の中にまだ「見返りを求めない気前の良さとか、下心なしの親切などというもの(p.53)」が存在していることを、確認することができます。


無償の愛とか、幸せとか、そういう、嘘くさくて、あるのかないのかよくわからないものを、
サンタクロースは、私たちに見せてくれるのです。



◇◇◇◇◇


この本の、レヴィ=ストロースの記述のなかの、子供の役割の部分を中心にまとめてみました。ほんとはもっと、若者のばか騒ぎの由来なんかについても語られているのですが、ずいぶん長くなってしまったので、そろそろ筆を置こうと思います。筆で書いているわけではないので、筆を置くというのはたんなるレトリックです。もちろんみなさんご承知ですよね。ね。 

 

*1:レヴィ=ストロースは、仏国のクリスマス行事の発達を米国の影響のみで説明するのは単純すぎると前置きした上で、米国商品によって仏国の民衆の潜在需要が刺激され、商品を媒介にして米国の習俗が伝播した、と指摘しています。また、中沢は「幸福の贈与」の中で、マーシャル・プラン自体が「贈与」の意味を持った政策だったとして、サンタクロースの贈与の性質との関連について、言及しています。

*2:サンタクロースの人形を吊るして晒したのち、人々の目の前で「火刑」に処した。

*3:資料によっては、サンタクロースとセント・ニコラウスを同一人物とするものもありますが、ここでは「あくまでサンタクロースの元ネタのひとつ」という位置づけで話を進めます。

*4:サンタクロースの祭りを形成する習俗の具体例については、葛野浩昭の「サンタクロースの大旅行(岩波新書)」が詳しいです。

*5:レヴィ=ストロースは、サンタクロースを「まぎれもなく神々の仲間である」と説明します。「なぜなら、その性格は超自然的にして不変、その形態の中に永遠に固定されて、特有の機能を与えられ、時を定めては人の世界を訪れてくるから(p.28)」です。

*6:題名の「大人向け」は、こういう意味です。

*7:アメリカ人にとっても、サンタクロースは「北極から来る外国人」です。

*8:なまはげを連想される方も多いと思います。実際、そっくりです。農耕に係わる祭りであることも共通しています。

*9:中沢は「幸福の贈与」の中で、ディケンズの「クリスマス・キャロル」を例に挙げ、この物語が、資本主義社会におけるクリスマスの贈与と、死者と生者の交流とを主題としていると解説しています。