法事

先週土曜日は法事があり、浅草に出た。浅草は寺の町だ。雷門や浅草寺の賑わいを抜け、国際通りを越えると、大小の寺がひしめき合う静かな地区に出る。その中の一つが実家の菩提寺で、父方の祖父母の墓がある。祖父母は私が学生の頃、在宅介護を経て逝った。


法事はいつも私の家族だけで行っているが、今回は母方の祖母も来た。東京に住む大伯母*1が危篤なので、最期のお別れにと上京したのだ。こちらにいる間は母が面倒を見ている。一人で放ってはおけないので、法事にも一緒に出てもらった。


祖母は物事がだいぶわからなくなってきていて、同じ話を何度も何度も、何度も何度も繰り返す。前回会ったときよりも、話がループする間隔が短くなっていた。これが進むと、起きた出来事を忘れ、私達を忘れ、何もかもがわからなくなるのだ、亡くなった祖父母がそうだったように。


私達家族は、数分前に聞いたばかりの話にも、初めて聞くような顔で相づちを打った。長年の介護で慣れっこのやり取りだ。亡くなった祖父母を思い出して、少し懐かしい。


危篤の大伯母は、数年前から寝たきりだったが、先日から肺に水が溜まりはじめ、いよいよ、あと数日だという。「意識はしっかりしていて、また会いに来てね、なんて言うのよ。なんだか戸惑ってしまうわ」と母が言い、「今まで看取った人はみんな昏睡状態で亡くなったからねえ」と父が応じた。遠回しに亡祖父母を偲ぶような、淡々とした会話。祖母は理解しているのかどうか、うん、うん、と頷いて、別の話へ緩やかに戻っていく。



法事を済ませたあと、小雨の中で墓参りをし、浅草寺のほうを少し散策した。歩いている間に雨は止み、夜にはきれいな十五夜の月を見ることができた。その夜、日付が変わる前に、大伯母は息を引き取った。



翌日、母と電話をした。近所の神社は例大祭の最終日で、お神輿が出るとかで家の前の通りはざわついていて、電話越しの母の声は聞き取りにくかった。


「おばあちゃんの様子はどう?」
「うん、知らせを受けたときには、ちょっとね……。でも大丈夫。もう感情もね、だいぶ薄れているから」


祖母は、ものを忘れるのと同じように、感情も忘れはじめているのだった。


母と私は、おばあちゃんが辛い悲しみを感じなくてすむなら良かった、それでもまだ少しは覚えているときで、大伯母と最後にしっかりお話しができてよかったね、と話した。それから、お通夜の日取りや、用意するものなどについて確認して、電話を切った。


お神輿の威勢のいい掛け声が、窓の外にゆっくりと近づいていた。



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はてなハイク「一首一首一首一首一首」から転載:


 祖母のなお浮腫みつづける足を揉む日々の終わりを父には聞けない


 寝て起きてご飯を食べて寝て起きて楽しい明日の話だけする

*1:祖母の姉、母の伯母