【旅日記】孤児17人、先生23歳 (1)


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アンコール遺跡群のまわりに数件設置されている、アプサラ機構*1管轄のトイレは、休憩所の役割も果たしていた。入り口の屋根の下に居心地のいいベンチと灰皿があって、管理人さんが飲み物を売っていたりする。歩き疲れた私たちはたびたびそこで一休みした。


ある日、いつものように休んでいたときのこと。
数m先の木陰に小さな神棚のようなもの(補足参照)を見つけたので、管理人さんに「what is this?」と聞いてみた。すると「school」という返答が。えっ、と驚いてよく見ると、神棚の向こうに建物が見える。あれか。木に隠れていて気がつかなかった。


思わず近づいて見に行けば、そこには屋根だけの小さな教室がひとつ。
小学生くらいの子供たちと、若い青年の先生がひとり、まさに授業の真っ最中。
邪魔しないようにこっそり木の後ろで見ていたのに、すぐに先生に見つけられてしまって、笑顔で手招きまでされてしまった。あらま。おじゃまします。


先生はきれいな英語を喋る23歳の男性だった。私たちが英語下手だとわかると、ゆっくりと丁寧に話してくれた。顔立ちはとても幼く、10代の少年のようだったけれど、落ち着いた口調と柔らかな物腰が先生然とした貫禄を醸し出していた。子供たちはそんな彼を信頼しきった顔で、目をキラキラさせて先生と私を交互に見ていた。私と目が合うと恥ずかしそうに下を向く。笑いかけると、隣の子とつつきあって小声でくすくす笑いあう。


いろいろと話しているうちに生徒たちの話になった。Children have no parents、と先生は言った。
――彼らにファミリーはいません、子供たちはみんな孤児です。学校のとなりに家があります。子供たちの家はひどく古いです。写真があります、見てください。
私は住み込みで子供たちの面倒を見ながら、大学に通っています。先生は私一人だけです。子供の授業、食事の準備、全て私ひとりで行ないます。時間が足りず、お金は稼げません。スポンサーはいません。スポンサー、わかりますか、ファン、そう、私たちにはファンがいません。皆さんに寄付をお願いしています。子供たちの家、食事、衣服のために、寄付していただけませんか。そういったことを、彼は静かな声で滔々と喋った。


教室の後ろには、子供たちの暮らしぶりを紹介する写真のパネルと、鍵付きの募金箱と、募金したひとの名前帳があった。こうして旅行者を呼びとめて募金を募ることも、孤児院の先生の大切な仕事なのだとわかった。(遺跡の周りにはこうした孤児院がいくつかあって、歳若い先生と生徒たちが募金を募っていた。首から募金箱を提げて立っている人もいた。ささやくような小さな声で募金を呼びかけていたのが印象的だった。)


私たちに出来る金額を募金箱に納めると、先生は丁寧にお辞儀をしてくれた。私はそのお辞儀を、居心地の悪い思いで受け取った。なんだかバツが悪い気がした。なぜそう思ったのかは今でもよくわからない。


外は雨が降ってきていた。土砂降りなので止むまで雨宿りをさせてもらうことにした。
雨音が大きく、交わした言葉は少なかった。


雨は10分くらいで止んだ。



続く

補足



この神棚(?)、市内でもよく見かけて、気になる存在でした。
どの家の入り口にもひとつずつ、ポストのような姿の神棚が建っています。原色だったりパステル調だったり、とてもカラフル。高さが1mほどの垂直の棒の上に、繊細なつくりの祠が乗っていて、どの祠も家の入り口を向いて(道に背を向けて)建っています。色はほぼ1色で、黄赤緑青…家によって様々。祠の屋根に金があしらってあることも。


仏壇ではなく、土地の精霊(ネアック・ター)を祀るための祭壇のようなものらしいのですが、調べてもよくわかりませんでした。どういう存在なんだろう。もっと聞いてくればよかった。


*1:アンコール遺跡郡の管理団体