【旅日記】キリング・フィールド (2)


【目次】


前回


次の日の朝、一番にそこに向かった。ホテルからキリング・フィールドまではとても近くて、トゥクトゥクで10数分もかからなかった。


そこは広場みたいになっていた。正面に納骨堂と看板、仏堂が立っていた。私たち3人の他にいるのは、看板の前に集まっている韓国人のツアー客の一団と、木陰のベンチに座っているトゥクトゥクの運転手らしい男性ひとりだけだった。よく晴れた日で、すぐ近くの道は砂埃がもうもうと舞っていたけれど、喧騒はここには届かないようだった。敷地の中はきれいに掃き清められていて、辺りはとても静かだった。


もしここに来ることができたらお参りがしたい、と思っていた。私は典型的なニホン的アニミズム信奉者で(神社で初詣、仏寺でお盆、きよしこの夜でクリスマス、というタイプ)、お参りしたい気持ちはあるけど、決まった作法は持っていない。こういう時はなるべく、その土地のやりかたで手を合わせることにしている。丁寧に所作をなぞることで結ばれる気持ちがあるような気がするからだ。ここでは、チャウ・サイ・テボーダで剃髪姿の女性が教えてくれたお線香のあげかたを真似るつもりでいた。


覚え間違っているかもしれないけど*1、カタコトの現地語の挨拶が笑顔を生むみたいに、なにか、伝わるといいな。
納骨堂の中の人達に、お会いした人達の知り合いに、その知り合いの知り合いに。
キリング・フィールドが象徴しているできごとのいろいろに、お参りができたらいい。





タカハシからライターを借りて、仏像の前に行った。靴を脱いでござにあがり、荷物を肩から降ろして脇に置いた(周りに人がいないから出来た)。


お線香をあげる。
手を合わせて座る。
手を合わせたまま3回深くお辞儀する。
お賽銭箱のような募金箱に喜捨をする。


ここで、広場を見て回っていたタカハシが来た。帽子を脱いで膝を折る彼にライターを返し、その場を離れた。



幅1.5m程の掲示板の前は韓国人の団体さんでいっぱいだった。男性のガイドさんがひとつひとつの写真を指し示しながら低い声で説明しているのを、皆さんじっと耳を澄まして聞いていた。お邪魔にならないように脇から覗いた限りでは、掲示物は当時を伝える写真や絵で(トゥール・スレン博物館の展示資料と同じものが多いようだ)、説明文はほとんど無いようだった。


観光客向けにこの場所を解説するものは、この掲示板と、募金を呼びかける英語の碑文くらいしかなかったように思う。碑文の中で、納骨堂はstupaと呼ばれていた。
ストゥーパ
卒塔婆
仏に祈りを捧げる供養塔。


ここのstupaは、クメール様式の優美な屋根を持つ、白い四角柱だった。とてもきれいな、ほんとうにきれいなたてものだった。側面のガラス窓から、中に納められた遺骨が見えるようになっていた。見上げるほど高く積み上げられた、あたまのほね、からだのほね。小さなほね、大きなほね。


この弔いの仕方がどれだけ手厚いものなのか私は知らない。ただ、この塔に遺骨を納めた人達の奮闘を思った。これだけたくさんの遺体を土の中から拾い集めてきれいにするのは、どんなにつらい、悲しい作業だっただろう。
遺骨は真っ白で、凄惨な傷跡はそのまま、今は静かに安置されている。


続き

*1:旅の指さし会話帳19カンボジア (ここ以外のどこかへ!)(情報センター出版局)88頁に、僧侶へのお祈りの作法が載っている。それによれば、私がやった所作は、大筋ではあっている、……の、か、なぁ? 微妙。
正座してお祈りしてしまったけれど、あちらでは足を横にずらして座る(所謂お姉さん座り)のが基本らしいです。遺跡のほとけさまには、被りものは脱いだものの、靴履いたまま・しゃがむだけで済ませてしまいました。安全第一。