【旅日記】キリング・フィールド (3)
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タカハシはまだ見て回っている様子だったので、先に車止めに戻った。あっくんはバイクに跨ったまま私たちを待っていた。
声をかけようとして、でもうまく英語が出てこなくて、手を合わせるジェスチュアをしながら日本語で「おまいりしたよ」って言った。あっくんは首をかしげながらも一緒に手を合わせて笑ってくれた。(この国の人のこういうときの曖昧な笑い方は、私たち日本人に本当によく似ていて、一瞬、外国人であることを忘れそうになる。)
それから彼は、左手に建っている大きな本堂を私に指し示して、
「Buddha is there.」
と言った。
「You can meet him. 」
…ほっとした。私たちの振る舞いが失礼じゃなかった、って言ってもらえた気がした。よかった。
タカハシにも声をかけて、お堂にお邪魔した。
お堂は無人だった。高床式で、体育館みたいに広々としていて、戸が開け放してあって、明るくて風通しがいい。階段を上り、入り口で靴を脱いで中に入ると、よく磨かれた床がひんやりして気持ちよかった。
入って右手に、大きな仏像や大小の仏具が並んでいる。こちらのほとけさまにも手を合わせてから、建物の中をじっくり拝観した。壁から天井にかけて、たくさんの壁画が描かれている。一枚1m四方くらいだろうか、なじみの無い、鮮やかな山吹色の仏教画*1だ。
日本と違う人物の顔つき。
見たことの無い場面。
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ここは、過去の歴史を伝える「史跡」じゃない。
拝観料を取らず自由に入場できる広場も、手入れの行き届いた立派な仏堂やstupaも、いま、ここで生きている人のための、宗教施設だった。いろいろなできごとの上に生活する人たちの祈りの場所だった。
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彼ら(著者注:強制労働から故郷に戻ってきた人々)がまず行ったことは、破壊された寺院の修復であり、儀礼の再開であった。おびただしい数の肉親、隣人を失ってなお、因果応報を説く仏教を捨てることはもとより、その教えに懐疑を挟むことさえなかった。
「もっと知りたいカンボジア」(弘文堂)118頁
〔中略〕
食料も事欠く状況下で、集落の再建と寺院の復旧が同時に進められたという事実は、現代の日本人には理解しがたいものだろう。しかし、それこそが彼らの日常生活の基盤を復興するという作業なのであった。
美しく穏やかな広場の佇まいを、タカハシは後日、「逆に生々しかった」と表現した。
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時計を見たら、到着してから20分も経っていなかった。
トゥクトゥクに乗り込みながら振り返ると、辺りは来たときと何も変わっていなかった。
団体さんは看板の前に、男性はベンチに座ったまま、
広場はとても静かで、涼しい風が吹いていて、
空は抜けるように晴れていた。