日蝕メガネの君

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金環日蝕を数日後に控えた先週末、気持ち良く晴れた日に、よこはま動物園ズーラシアに出かけてきた。動物の力強い動きに見惚れて、カメラのシャッターをばしゃばしゃ切っていたときのこと。
「あのね、そのカメラじゃ日蝕は撮れないんだよ」
と、唐突に隣から声が聞こえてきた。目をやると、小学校低学年くらいかなあ、見知らぬ少年が、日蝕観察用のメガネを片手に立っている。


日蝕の写真を撮る時はねえ、ちゃんと減光フィルムをかけなきゃいけないの。でも見るだけなら日蝕メガネがあれば見られるんだよ。これね、日蝕メガネなの。これがあればねえ、日蝕を見てもいいんだよ」


少年は早口でそう続けた。私に言っているのかしらと周りを見回すと、彼の母親らしき人は少し離れたところにいて、少年より小さな子どもの面倒を見ている。彼の相手は私で間違いなさそうだ。


「そうだねえ、私も日蝕メガネを持っているよ。見るの、今から楽しみだねえ」
「うん、僕、日蝕を見るんだよ。日蝕の、金環日蝕はすっごく珍しいんだよ。このメガネがあれば太陽を見てもいいけどカメラはこれじゃだめで、でも見るのはメガネがあればいいの」


このあたりで、彼はとにかく日蝕について誰かに話したいのだということがわかってきた。自分の喋りに夢中で、私の受け答えはどうでもよさそうだ。


「太陽の光は危険だから見ちゃいけないんだよ、でもね、ちゃんとメガネで見ればいいの。これ、僕のメガネ」
「私が持ってるのよりカッコいいメガネだよ、それ。いいなあ」
日蝕のメガネだからこれで見るんだよ! ほら、こうやって何もしないで見ると目が痛くなっちゃうけど、メガネで見ると平気。ほら!」


話に熱が入りすぎて、太陽を裸眼とメガネで見比べる実演までしはじめた。ああっ……。


「そうだね、メガネなしで太陽を見るのはすっごく危険だからやっちゃダメだね!」
「うん! こうやってみると眩しくってよく見えないけど、メガネで見るとほら、太陽のかたちがちゃんとわかる!」
「そうだねメガネで見ないとダメだね、ダメだよね……!」
「このメガネねえ、堅い紙で出来てて、ぎゅーってやっても曲がらないの!」
「うわ、そんなチカラいっぱい……ああ……」


彼の熱弁は、彼の母親がこちらに気付いて連れて行こうとする間もずっと、止まらなかった。



金環日蝕の朝、きれいな輪っかを見ながら、彼が裸眼で太陽を見たのはあの時だけで済んだのかなあ、彼の大切な紙製のメガネは日蝕本番まで持ちこたえられたかなあ、と思いを馳せた。


写真は、彼と私が展示そっちのけで金環日蝕の話に興じているときに美しい腕渡りを見せていた、ボウシテナガザルのお二人の背中。体が銀色のほうが雌で、真っ黒なほうが雄です。