先々月と先月の私の近況報告

どうもです。先々月、入院して手術して退院してきました。先月中に仕事にも復帰できました。経過は良好です。
気にかけてくださった方々、
ブコメTwitterで声をかけてくださった方々、
お薦めの本や品物を紹介してくださった方々、
どうもありがとうございました。ご報告が遅れてすみません。
本当にありがとうございました。


◆今回の病気が見つかったのは今年の初めでございました。きっかけは子宮頸がん検診でしたが、見つかったのはがんではなく別の疾患でしたので、とにかく検診を受けることが病気の早期発見のためにも大切なのねと思いました。エーシー。
私の場合はむしろ進行して困ったことになっちゃってましたので、テレビCMで検診の重要性を訴える仁科親子*1を見るたびに「仰るとおり、仰るとおりでございます! サボっててすみませんでしたァー!」と猛省する羽目になりました。一時期はあのCMばかり流れて日に何度も猛省しなければいけなかったので大変であった。皆さんも私みたいな目に遭わないように検診に行っておいた方がいいですよ。エーシー。


◆手術をすることが決まったのは震災の数日後でした。復旧したばかりの電車で病院へ行って、MRIの結果を聞いて、手術の日取りもその日に決めて。病院から帰る道すがら、父ちゃんと母ちゃんになんて言おうかなあ、とか、仕事どうなるかなあ、とか、卑近で具体的な懸念ばかりをこねくり回したものでした。
以来今日に至るまで、目先のことしか考えられない状態になっています。手術のことがなければ、小心者の私は、震災や原発の不安で無駄にブルブルしていたんじゃないかしら。ある種、肝が据わったというか。馬車馬が真っすぐ走るために目に覆いをかけて視野を狭くされるようなものかなあ。
漠然とした不安に取り憑かれた時は、何か検診を受に行くと、とりあえずの安心が得られたり、懸案事項が可視化・具体化されてよいのかもしれないなあと思いました。がん検診と肝炎ウイルス検診あたりがいいと思います。エーシー。なんかライフハックっぽいな。いやそうでもないな。


◆手術が決まった後も、自分が今後どうなるのか、ええとつまり子供を産む機能を失わなくて済むのかどうかがはっきりしない状態がしばらく続きまして、その時期は人に会ったりどこかへ出かけたりしたい気持ちが強かったです。
ひとの生活の節々では、状況の変化による不可逆なこころの動きが起こりますでしょう、震災の前と後とで世間の景色が変わったように。たとえば今回の私の場合、「子宮を全部摘出しましょう」ということになったら、それ以降の自分の気持ちの有りようは、今とは違うものになる。それが無性に惜しく感じられて、今のうちに色々見聞きしておこう、今しかできないかもしれない会話をしておこう、と思ったのでした。
それで何人かにお声をかけたり予定を立てたりもしたんですけど、その頃にはホルモン治療の影響もあってか仕事するだけでせいいっぱい、一件外出するごとに数日寝込むような弱っちい身体になっていて、ずいぶん不義理をしました。お心当たりのかた、すみませんでした。またこんど遊んでくださると嬉しいです。


◆結果的には、今回の手術で私の身体機能が失われることはありませんでした。出産することも帝王切開でなら可能らしいです。ありがたやありがたや。ところがそんな話を南米在住の知人とメッセで話していましたら、「自宅出産・自然分娩のほうが母子のためにはいいのにねえ」と不安がるのでびっくりしました。すわ彼の地でも“自然なお産”ブームが!? と身構えてよくよく聞いたところ、
「病院での出産は子供の取り違えが多い。黒人夫婦の知人のところに白人の赤ちゃんが引き渡されたことさえあった」
とか、
「医療ミスが起こりうるから帝王切開はできるだけ避けた方がよい。この前もおなかの中にガーゼを忘れられた知り合いが再手術を」
などなど、問題の所在が日本と違いすぎてのけぞりました。それ、もう、医療技術の不備とかじゃなくて人的な管理不良じゃないか! そして日本に居る私にそんな視点でアドバイスをされても! そりゃ身近にそんな事例がごろごろしてたら病院不信になるかもしれませんわいなあ。世界はまだまだ多様なようす。


◆さて前回の記事でなぜか注目を集めた「窪橋の入院に際して、タカハシはどんな本を用意するのか」という話題ですが、答えは『銃・病原菌・鉄』でしたー。ご期待に添えましたでしょうか。私はパンチに欠けるなあと思いました(ひどい)。いや前から読みたいと思っていた本でしたけども。タカハシだったらもっとひねってくるかと思ったのになあ。


本を受け取った時の様子を絵にしてみました。初めてフォトショとペンタブで絵を描いた、記念すべき一枚です。タカハシに見せたところ「俺はこんな意地悪な顔ではない」と顔をしかめていましたよ。似顔絵は難しいネー。


◆手術当日はタカハシが付き添ってくれました。手術室に向かうのって、ベッドに寝かされてガラガラ運ばれながら親族が手を握って
「先生、妻を頼みます!」
「お母さんしっかり!」
「邪魔です、ご家族は退いてください!」
的なイメージが強かったんですけど(三流ドラマの見過ぎ)、私は普通に身体が動かせるので、看護師さんに案内してもらいながら、タカハシと三人、のんびりてくてく歩いて手術室に向かいました。病室から手術室まで遠かったので道中は雑談に花が咲いて、手術室のドアの前でタカハシと「じゃあねー行ってきまーす」と手を振りあって。手術前と言っても現実はずいぶん呑気なんだなあと思っていたら、看護師さんに「のほほんとされてていいですねえ」と言われたので、他の患者さんの場合はもっと緊迫感やら悲壮感やらが出ているものなのかもしれぬ。出しそびれた。


◆手術室で処置を待っている時には、麻酔科の先生に話し相手になっていただきました。
「難しい注射ってあるんですか? そういうのって自主練したりするんですか?」
「太い針ほど難しいです。練習する方法は無くて、実際に患者さん相手に数をこなすしかないですね。でも、そうですね、全身麻酔が施された患者さん相手ですと、年長のアドバイスを受けながらできて、こう言っちゃなんですが、いい機会なんですよねえ」
「なるほど、『こうした方がよかったよ』とか、注射されている本人には聞かせにくいですもんね」
「そうそう、『今のはちょっと……』とか、話しにくいですしねー」
……というような心温まる会話をさせていただいたあと、その先生に硬膜外麻酔*2の針を入れてもらったんですが、直前の会話を思い出して笑いをこらえるのが大変でした。絶対からだを動かしちゃいけない局面だったので危なかった。本当に危なかった。
硬膜外麻酔は背中をぐぐっと丸めて背骨と背骨をしっかり広げる必要があるので、正しい体位が取れるか不安だったのですが、針が無事に入ったあと、先生に「いい姿勢でしたよー。背中、良く丸まってました」と褒めていただけたのでほっとしました。そして先生は看護師さんに「ええっそこ褒めポイントなの!?」とタメ口で突っ込まれていて面白かった……。
先生も看護師さんもお茶目さんだったので、もっと話を聞いていたかったのですが、全身麻酔のマスクをかけますよーって言われて目をつむって、次に目を開けた時にはもう、病室のベッドに戻っておりました。手術は四時間近くかかったらしいですが、麻酔で寝こけていた私にとっては一瞬のできごとであった。疑似タイムスリップ。


◆入院先は女性ばかりの病棟でした。ほとんどの人が私より病状が重くて、それでいて明るい人たちで、豊富な人生経験とブラックユーモアが飛び交うガールズトークは濃いのなんの大迫力でした。肚くくった人間は強い。笑っている人間は強い。
私は患者の中では若手のほうだったので、患者仲間の皆さんにはずいぶん可愛がってもらいました。
ある日など、「ダンナも姑も私の病気に慣れっこになっちゃって、こっちは副作用でつらいってのに家事の手伝いもしない!」という話題で諸先輩がたが「うちもうちも」と大盛りあがりした直後にタカハシが面会に来て、
「あらぁー優しそうな旦那さんでいいわねー、奥さんが退院したら家事を全部やってあげてちょうだいねえー」
とあわれ総攻撃な流れになってしまって、タカハシが気圧されていて面白かった……じゃなかった、かわいそうだったなあ。


◆入院中は時間だけはたっぷりあるので、患者同士、たくさん話をしました。たいていの方が、子育てだったり介護だったり仕事だったり、別の問題を病気と平行して抱えていて、時節柄、震災の話も絡んできて、「病人は話が長くって困るわよねえ、自分の話をしたくてしょうがないんだから」*3って言い合いながらいろんな話をしました。
いつも明るい人たちでしたけれど、たまに――夜、二人だけで並んでベッドに腰掛けて、消灯時間が来るまで声を抑えて話しているときなどに、ほろっと静かにこぼれる言葉を聞くことがありました。


「みんな『大変でしょう』って心配してくれるけど、病気自体はそんなに大変でもないのよね。ただ、ずうっと頭の隅にあるの。また再発するんじゃないかしら、転移しているんじゃないかしら、とかね。何をしていても、楽しいときにも」


長い闘病は日常になる。ただ、睫のように常に目の端に被る。
うちの母もそうでした、だからたぶん何となくわかります、と伝えたら、そうなのよね、病気にかかるとどうしてもそうなるの、しょうがないわねえ、と笑っておられました。笑っている人間は強い。強くないはずなのに笑うから強い。


◆だから、手術一発で全快できるような軽症の私がへたれちゃならぬと堪えていたのですけど、一度だけ、
仲良しのお姉さんの点滴が重症患者向けのそれに変わった日、
ショートボブの似合う方が「これから髪抜けてカツラになる予定だから、髪型じゃなくて顔を覚えておいてね!」って言いながら退院していった日、
娘さん思いの方が「あの子の成人式を私が生きて見られるかは分からないけど、あの子が好きに選んだ着物を着させてあげたい」とお姑さんが押しつける着物から娘さんを守る熱いバトルを語って聞かせてくれた日に、一度だけ、
自分のベッドに戻って一人になったら、ちょっと感情がキャパ超えちゃった感じにぶわぁっと来て、いかんいかんと涙を堪えたら鼻の頭が真っ赤になって、いかんいかんとベッド周りのカーテンを閉めて、でもいま看護師さんが来たらアウトだなあ、なんて言い訳しようかなと持ち物を探索したら「銃・病原菌・鉄」があったので、万が一誰かに見られた時には、スペイン人ピサロがインカ皇帝アタワルパを捕獲したくだりを読んで泣いたことにしようと思って、本を開いてじっとしていたら、誰にも見られることなく普通の顔に戻ることができました。「銃・病原菌・鉄」はいい本です。とっぴんぱらりのぷう。


銃・病原菌・鉄 上下巻セット

銃・病原菌・鉄 上下巻セット

*1:「子宮頸がん、乳がん、定期的に検診を」というメッセージのあれ

*2:熟練の腕が求められる技

*3:だからこの記事も長いのよう、しょうがないのよ