笑うひとびと

知人の便りを風に聞いた。



あるひとは、東欧のひととおつきあいをしている。彼女をよく知る友人が聞いた話によると、お相手の故郷の小さな村を訪れた時、村の人たちが総出で彼女を見に来たのだそうだ。皆さんニホンジンを見るのは初めてだったらしい。彼と結婚するなら、彼女はムスリムに改宗しなければならない。彼女は、どうしようかなあ、と笑って話していたという。



あるひとは、東南アジアで暮らしていて、現地のひととおつきあいをしている。結婚を前向きに考え、まずお試しとしてあちらの実家で短期間暮らした。彼のご家庭もムスリムだけれど、彼女の立場を理解して、宗教的なことは強制しないと言ってくれるという。「でもね、」と彼女は笑う。「ラマダンは宗教行事だと思っていないのよう。私もしなきゃいけないって言うのよう」
だから彼女はラマダンの時期、職場でこっそりご飯を食べる。日系企業で働いているから、同僚もみんな似たり寄ったりの境遇なのだ、といたずらっぽく笑う。



あるひとは、南米の国で暮らしている。あちらで伴侶を見つけて、去年かわいい男の子を産んだ。日本にいる彼女のご両親は、自分たちの娘が遠い国へ行ってしまった寂しさと、幸せに暮らしている喜びとに挟まれて、痛々しいくらいに狼狽している。スカイプを薦めているけれど乗り気ではない。娘の結婚を認めてしまうようで辛いのだと思う。私の母はそんな状況を心配して、たまに南米の彼女とメッセでやりとりをする。横向きに寝転ぶ赤ちゃんの写真を見て「この月齢で仰向けじゃないなんて珍しいわねえ」と感心し、「黒人のパパを持つと成長が違うわね」と笑い合っている様子。
今年、彼女は新しい家族を連れて日本に一時帰国することになった。彼女のご両親は、やっぱり、目に見えて嬉しそうだ。夏になったら孫が来るんだ、と私に向かって笑顔で話した。



あるひとは、西アフリカ出身のひとと日本で結婚をした。性急な、周りの理解を得にくい結婚だった。彼のビザが切れてしまう事態を前に、このまま別れるか、結婚をしてビザを取得するかの2択の中から決断したのだった。仲が良かった彼女の家族は、以来、少しぎくしゃくしている。彼女は、理解を得るには時間がかかるだろうね、と言う。私たちが幸せだってことを時間をかけて見せないと、と言う。籍を入れてから数年が経ち、彼女たちにはいろんなことが起きたが、いつも彼女は笑っている。それでも彼と一緒にいることを、誇らしそうに彼女は笑う。



私は、



私は平々凡々と生きている。
辛いことや苦しいことは全て、私より以前に起き、私が当事者ではない場所で起きた。


今の日本では、私みたいな男兄弟が居ない長女が、タカハシみたいな一人っ子の男性と結婚するのは、普通のことだ。でも、数世代前は普通ではなかった。
私の出生は、私より前の世代のひとたちが負った社会的制約や苦闘の系譜の最後に連なっている。
私の生活の穏やかさは、彼らを礎に成り立っている。
そのことに私は一抹の罪悪感を覚える。
そしてこれから起こるだろう様々な出来事を前に、私は先人たちのように強く生きられるだろうかと不安になる。


タカハシはそんな私を笑う。
何が起きるかは起きてからでないとわからないし、
起こったとしても大丈夫だ、と笑う。
そうかあ、そうだねえ、と私も一緒に笑う。


タカハシと一緒にいられることが、私は嬉しい。
私の知人たちが、自分が選んだ人と一緒にいられることが、私は嬉しい。
一緒にいられなかった人たちもいる。苦労なんてあるに決まっている。
それでも私たちはいま一緒にいる。
一緒に暮らしたり、働いたりしている。


私たちは、ここまできた。


辛いことは全て過去に起き、不安は全て未来にあって、今、私はタカハシといる。
タカハシと一緒に平々凡々と生きていることを笑う。



◇◇◇◇◇


id:gameover1001さんの文章「サイドバイサイド」(今は読めなくなっています。)に触発されて書きました。


ガメさんへの応答でもありますが、
知人たちやタカハシ、その他不特定多数の人たちに向けたラブレターでもあります。
届け。