【旅日記】孤児17人、先生23歳 (3)

【目次】
【旅日記】孤児17人、先生23歳 (1) (2) (3)


(7/30 補足追記)


この時だけでなく、他の人たちからもよくyou are luckyと言われた。結婚できてluckyですね、海外旅行ができてluckyですね、日本に生まれてluckyでしたね、って具合に。カンボジア英語特有の言い回しなだけで、深い意味はなかったのだと思う。でも私は、you are luckyって言われるたびに落ち着かない気持ちになった。そんなにラッキーじゃないよと思ったり、ずるが見つかったような罪悪感を覚えたりもした。


ふと、1000ドルを下ろして先生に届けたらどうだろう、と思いついた。孤児院のみんなは「いい人が来てluckyだった」と言うだろうか。先生はNGOODAの援助はあてにしていないような口ぶりだった。私達が頑張って寄付すれば、先生はどんなに助かるか。トゥクトゥクを飛ばせば、ここからATMまで往復40分もかからない。1000ドルは大金だけれど、無理すればなんとか捻出できる。観光客のきまぐれで、先生は中古バイクが手に入る。


それは気分のいい妄想だった。私がluckをあげられるのだと思うと、急に大金持ちになったような、足元がふわふわするような気持ちになった。同時に、そんなことを考えた自分を恥じた。
先生たちのことをろくに知らないのに、お金だけ用意していい気分になるのは、ここの人たちを見下す行為だと思った。私は発言を堪えて、タカハシと先生の会話を聞くことに徹した。我慢に近いような感情だった。


このあたりの自分の考えや感情を、まだ私は整理できていない。1000ドルまでいかなくても寄付したほうがよかったのでは、とか、もっと取るべき行動があったのではないか、などと今でも迷う。未整理のまま、とにかくここに書いておこうと思う。この国に対する寄付や援助は足りないくらいだと考えているのに、私はあの時、少額の寄付以外は何もしなかった。今も何もしていない。



タカハシはまた違う考えを持っていた。
タカハシは私に向かって日本語で、「この先生は大丈夫だよ」と言った。先生自身の境遇は、貧しいとはいえ悪くはないはずだ。品のいい金色の腕時計をしている*1し、正しい英語を話せるくらいの教育を受けている。寺院の後ろ盾で大学に行けるくらいのコネもある。先生はきっと自分の力でやっていけるよ、孤児院も先生が見捨てなければ大丈夫、とタカハシは言った。タカハシはこういうとき、相手の能力を本人が思うよりも高めに設定して信頼するので面白い。


タカハシはまず、先生に寄付金の月額を聞いた。先生はちょっと戸惑って、募金箱の鍵は仏僧が管理していて自分は知らないと答えた。タカハシは重ねて質問をした。海外から振り込める銀行口座はある? メールは? ウェブサイトは? タカハシは質問しながら、先生が知らなくて自分が知っている知識がないか探して喋っていた。資金援助ではない面で、先生に何かしたいと考えたのだった。


先生は、現実味を感じないような、きょとんとした顔でタカハシの質問に答えていた。銀行口座は持っていなかったし、ウェブで発信することは考えたこともないようだった。タカハシは後日、そんなもんでしょ、こっちも向こうの状況を何も知らないんだし、と私に言った。いつか先生が、「そういえばどこかの観光客が何か言っていたな」と思い出して、活動のヒントか何かにしてくれたら、それだけでいいのだ、と笑った。


先生はメールアドレスは持っていた。アドレスを交換しませんかと遠慮がちに提案されたので、私のアドレスをプリントの裏に、先生のアドレスを私のノートにそれぞれ書きあった。先生のアドレスは、フルネームで取得したgmailだった。書いてもらっている途中で先生のペンのインクが切れたので、タカハシが予備に持っていた三菱ユニのハードロック3色ボールペンを差し上げた。旅行直前に新しい芯に取り替えたばかりだったから、当分は使ってもらえたのではないかと思う。


タカハシは「先生からメールが届いたら、その時にできることをしようよ」と私に言った。中古バイク代を寄付するべきかどうか、タカハシも少し悩んだようだった。



教室に行くと、子供達はみんな席について、先生が来るのを待っていた。授業の開始時間を過ぎてしまっているようだった。


タカハシは先生に、「私達はもうすぐ日本に帰るので、ここに来るのは今日が最後だと思う」と言って、お別れの挨拶をした。先生は、"god bless you" に代わる仏教徒にふさわしい言葉を、考え考え、私達に贈ってくれた。「仏陀があなたたちの旅を見守っていてくれますように」というような言葉だった。たどたどしさが嬉しかった。


1人の少年が、待ちきれないかのように教室の壁に掛かった鐘を鳴らし始めた。フライパンを叩くような乾いた音が辺りに響いた。授業開始の合図だ。少年は堂々と胸をそらせて、ちょっと小鼻を膨らませてもいて、得意げな様子がとてもかわいらしかった。先生は彼を見てにっこり笑った。初めて会ったときのような、落ち着いた「先生」の表情をしていた。


私達は教室を出た。


先生はゆっくり教壇に向かい、子供達に向き合うと、よく通る声で何かの一節を諳んじた。子供達が元気にそれに唱和して、その日の授業が始まった。


*1:カンボジアでは、インフラ整備の関係で固定電話よりも先に携帯電話が普及していて、時間を知りたければ携帯を見ればいい≒腕時計は服飾品、腕時計をしている人はそれなりに余裕がある人だった。