【旅日記】孤児17人、先生23歳 (2)

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【旅日記】孤児17人、先生23歳 (1) (2) (3)


数日後、また同じトイレで休憩することがあったので、先生に挨拶していくことにした。教室に先生の姿はなく、子供たちが学校の周りで走り回って遊んでいた。


数人集まっているところに話しかけた。みんな良く英語を解し、快く先生のところに案内してくれた。学校のさらに裏、奥まったところに瀟洒なレンガ色の僧院があって、先生は仏僧と談笑しているところだった。「先日は雨宿りをさせていただいて…」と簡単に挨拶して別れるつもりだったけれど、子供たちの家を見ていかれませんかと引き止められた。社交辞令ではない様子。せっかくなのでお邪魔することにした。


子供たちの家は学校の裏手にあった。ぼろぼろだった。高床式で、12畳くらいのぶち抜きのフロアがひとつだけ。雨漏りするためバケツがところどころに置いてある。床は腐食して、床板の隙間から2m下の地面が見えた。歩くと軋む。いつ穴が空いてもおかしくない。壁に手をつこうとしたら、蟻が列を成していた。
先生は、建物が古いことよりも、部屋割りを悩んでいるらしかった。寄付が集まったら建て替えて、男女の家を別々にしたいと話した。今はとりあえず部屋の一角を壁と布で区切って女の子たちの部屋に、それ以外を男の子の場所兼共用スペースにしてあった。


道案内してくれた少年2人が上がってきて、部屋の少し離れたところでココナツの実を割って飲みはじめた。こちらの話が聞こえているのかいないのか、気を引きたそうなそわそわした様子で、先生の顔をちらちら見ている。小さい頃、家にお客さんが来ると、私もあんなふうに両親を覗き見たものだった……先生は文字通り、親代わりなのだ。たった23歳で(しかもカンボジアは数え年だから実年齢はもっと若い)、孤児17人が信頼を寄せる先生で、お父さんなのだ。「すごい仕事をされていますね」と言うと、体力的に辛いと苦笑いをした。先日私たちと会った後に疲労で体調を崩し、つい昨日まで入院していたらしい。まだ完全に回復したわけではないが、子供たちの世話があるのでゆっくり休んでもいられない、と肩をすくめる。




郊外の仏堂。ここも脇に孤児院が併設されていた。



校庭の木陰のベンチに場所を移して、彼の話を聞いた。子供たちから離れたせいか、さっきまでの落ち着いた表情が、若者らしい茶目っ気のある顔になった。
彼には話したいことがたくさんあるのだった。それは募金を募るためと言うよりも、彼の歳相応の欲求のようだった。大学の後輩が先輩に悩みを打ち明けるような深刻さと気安さで彼は喋った。自分の暮らしがどんなに大変か、お金がどんなに足りないか、とにかく誰かに語りたいようだった。


私たちが新婚旅行中だと知ると、羨ましがって頭を掻いた。カンボジアでは結婚するとき女性の家にお金を納めないといけないんだ*1、こんな暮らしの僕に彼女なんて…と落ち込んでみせた。かと思うと、日本に行くにはいくらかかるのか、と聞いてくる。トーキョーに行ってみたいと目を輝かせ、飛行機代を聞いて肩を落とす。


お金がもっとあればいいのに、と、彼は手にしていたプリントの裏に、毎月の経費を計算し始めた。彼の学費と交通費はお寺が負担している、というか、孤児院への寄付金で賄っている。いわば労働付きの奨学生だ。大学の他に、週に数回専門学校でパソコンも学んでいる。その学費が年間いくらで、月で割るとこれくらいで、子供たちの食費がいくらで、大学までの交通費がいくらで…。すらすらと数字を並べながら、USEDでいいからバイクが欲しい、と言う。そうすれば今より余裕が出来るのに。学校までは遠くて、バイタクやトゥクトゥクで通っているけれど、お金も時間もかかってしまう。中古車の相場は彼の話によると1000〜1200米ドル。とても手が出ない、と唇を噛む。


日本の大学の学費はいくらくらいですか、と聞かれた。少なめに6000ドルと答えたけれど、そんなに高いのかと身を乗り出して驚かれた。
あなた方は大学を出たのですか? ――はい。
二人とも? ――はい。
そうですか。you are lucky.



続く

*1:結納金みたいなものか。相場は、私が聞いた限りでは2000〜3000米ドルだった。現地の平均年収からするとかなりの大金。