「観たアベンジャーズ観た」さんのブログを読んだ
ここ数日、id:GuriGuraさんこと「観たアベンジャーズ観た」さんが、
ご自身のブログ『走れヴィンセント!敗戦処理だ!』で
「観たアベンジャーズ観た」と熱く主張しておられます。
◇ 「アベンジャーズ観た! ネタバレあり」
◇ 「アベンジャーズほんとに観たんだ!」
◇ 「アベンジャーズとはいったいなんだったのか?」
「観たアベンジャーズ観た」さんは、「本当はアベンジャーズ観てねえんじゃねえか糞野郎などと口汚く罵られたことに思わずカッとして我を失って」などと口汚く我々読者を罵っておられます。温厚な私でもこれには思わずカッとして我を失わざるをえません。そもそも、いっとう始めにカッとして我を失い「ほんとはアベンジャーズ観てねえんじゃねえのか」と申し上げたのは私であるにもかかわらず、ご自分が最初にカッとして我を失ったような言い方をするのはいかがなものでしょうか。こういう物言いをする人は、まずアベンジャーズは観てないですよ。ホッケは焦がしたとしてもアベンジャーズは観ていない。プロメテウスのチケットをかけてもいいです。
とにかく、このような局面を迎えたからには、なぜ私が最初にカッとして我を失ったかをしっかりと表明しておかねばなりますまい。耳の穴を牙突でかっぽじいてよく聞いてください。いいですか。私が、私こそが、アベンジャーズをみた人間です。
……思えば今まで様々なアベンジャーズをみてきたものでした。
カッとして我を失った記事をただあげるのも味気ないですし、この機会に、私が観てきたアベンジャーズの一部をご紹介したいと思います。
◇◇◇◇◇
◆アベンジャーズをみた。
悪者がヒーローにやられていた。
◆アベンジャーズをみた。
夕暮れに霞む街の喧騒の中に、そのみすぼらしい姿はあった。
声を掛けようと思う間に、姿は雑踏に消え、それぎりになってしまった。
◆アベンジャーズをみた。
昨今はスポーツバーなんて小洒落た店が流行っているらしいが、
アベンジャーズはやはり茶の間でテレビが夏の定番だろう。
白球を追うアベンジャーズ達を見ながら、よく冷えた素麺をすする。
「あ、蚊」と母が言った。
◆アベンジャーズをみた。
数十年前にとある善良なご婦人が手を加えてからというもの、
数々の奇跡をもたらしたという霊験あらたかなアベンジャーズだ。
参拝客という名の観光客で、アベンジャーズの前は日々ごった返している。
「人気が出たはいいが、こんなに騒がしくなっちゃあ、神様も驚いただろうな」
人垣の向こう、厳重に囲われた柵の中で、フレスコ画の無垢な瞳が小さく瞬いた。
◆放課後、ひとり教室で涼んでいると、背後から声が掛かった。
「おい、ここに置いてあったアベンジャーズはどこへ行った」
「えっ、あれは、阿部んじゃ……」
振り向きがてら答える声は、鋭い目に射すくめられて途中で切れた。
おおかみのように恐ろしい形相の桐島がそこにいた。
◇◇◇◇◇
賢明な読者の皆様はとっくにお気づきだと思うので、今更白状するのもしらじらしいですが、この記事は冗談です。
察しの悪い方のために一応はっきりさせておきますと、「観たアベンジャーズ観た」さんに「ほんとはアベンジャーズ観てねえんじゃねえのか」と最初に言ったのは、私ではなくid:tsukitanukiさんです。
それ以外は全部事実です。
ほんとだよ。ほんとだってば。
『プリンセス・トヨトミ』(映画)(小説)
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「おおかみこども」と「バットマン」と「部活やめたってさ」という日本語を見かけたら目をシュッと細めて速やかに別の文章に移動する技を磨いている今日このごろです。自分が見るまで情報をシャットダウンするための秘技です。ああ早く映画館に行きたい。
おうちでプリンセス・トヨトミを見たので感想文を書きました。
箇条書きで書きました。
◇◇◇◇◇
●昼寝してたらタカハシが勝手に見始めておりました
●なので冒頭見逃しました
●ひどい!
●綾瀬はるかさんがひたすらかわいかったです
●原作の中に、門番から入場札を受け取って出るときに門番に返すという、入退場者管理システムの描写があります
●本筋とは全く関係無い部分ですが、私はそれを非常に愛しています
●そういう細部に宿るリアリティがとても好きだ!
●しかし映画にそのシーンはありませんでした
●見たかったなー
●あとこれは原作にはない部分ですけど
●議事堂内の階段に車いす用のスロープが付いていたら、私は身悶えて喜んだと思います
●そういう細部に宿るリアリティがとても好きなんだ!
●しかしなかった
●見たかったなー
●ご老人が多いんだしスロープ付けましょうよと大阪国総理大臣に進言したい
●原作の最後で旭と大輔が会話するシーンも非常に愛しています
●あそこで語られる話があるからこの物語が好きになったくらい
●男性/女性の扱いのユニークさがいいなと思ったのよ
●しかし映画にそのシーンはありませんでした
●残念!
●原作との違いでここが一番残念でしたなー
●見たかったなー
●大輔役の森永悠希さんの表情がすごくよかった
●あのまゆげの曲がり方がいい
●セーラー服の似合わなさが素晴らしい
●茶子役の沢木ルカさんの眼力もすごくよかった
●黙って守られる女性じゃない感じが絶妙でした
●野球バット背中から抜くシーン最高です
●堤真一さんと中井貴一さんも文句なしに渋親父でした
●彼らの深い声をタカハシが隣で真似しようとするので煩さかったです
●私も対抗して、中井さんが写るたびに「サラメシ!」と叫んで雰囲気をぶちこわそうと頑張りました
●ぶちこわせなかった
●役者のちからに負けました
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犬橋お蔵出し
日蝕メガネの君
金環日蝕を数日後に控えた先週末、気持ち良く晴れた日に、よこはま動物園ズーラシアに出かけてきた。動物の力強い動きに見惚れて、カメラのシャッターをばしゃばしゃ切っていたときのこと。
「あのね、そのカメラじゃ日蝕は撮れないんだよ」
と、唐突に隣から声が聞こえてきた。目をやると、小学校低学年くらいかなあ、見知らぬ少年が、日蝕観察用のメガネを片手に立っている。
「日蝕の写真を撮る時はねえ、ちゃんと減光フィルムをかけなきゃいけないの。でも見るだけなら日蝕メガネがあれば見られるんだよ。これね、日蝕メガネなの。これがあればねえ、日蝕を見てもいいんだよ」
少年は早口でそう続けた。私に言っているのかしらと周りを見回すと、彼の母親らしき人は少し離れたところにいて、少年より小さな子どもの面倒を見ている。彼の相手は私で間違いなさそうだ。
「そうだねえ、私も日蝕メガネを持っているよ。見るの、今から楽しみだねえ」
「うん、僕、日蝕を見るんだよ。日蝕の、金環日蝕はすっごく珍しいんだよ。このメガネがあれば太陽を見てもいいけどカメラはこれじゃだめで、でも見るのはメガネがあればいいの」
このあたりで、彼はとにかく日蝕について誰かに話したいのだということがわかってきた。自分の喋りに夢中で、私の受け答えはどうでもよさそうだ。
「太陽の光は危険だから見ちゃいけないんだよ、でもね、ちゃんとメガネで見ればいいの。これ、僕のメガネ」
「私が持ってるのよりカッコいいメガネだよ、それ。いいなあ」
「日蝕のメガネだからこれで見るんだよ! ほら、こうやって何もしないで見ると目が痛くなっちゃうけど、メガネで見ると平気。ほら!」
話に熱が入りすぎて、太陽を裸眼とメガネで見比べる実演までしはじめた。ああっ……。
「そうだね、メガネなしで太陽を見るのはすっごく危険だからやっちゃダメだね!」
「うん! こうやってみると眩しくってよく見えないけど、メガネで見るとほら、太陽のかたちがちゃんとわかる!」
「そうだねメガネで見ないとダメだね、ダメだよね……!」
「このメガネねえ、堅い紙で出来てて、ぎゅーってやっても曲がらないの!」
「うわ、そんなチカラいっぱい……ああ……」
彼の熱弁は、彼の母親がこちらに気付いて連れて行こうとする間もずっと、止まらなかった。
◇
金環日蝕の朝、きれいな輪っかを見ながら、彼が裸眼で太陽を見たのはあの時だけで済んだのかなあ、彼の大切な紙製のメガネは日蝕本番まで持ちこたえられたかなあ、と思いを馳せた。
写真は、彼と私が展示そっちのけで金環日蝕の話に興じているときに美しい腕渡りを見せていた、ボウシテナガザルのお二人の背中。体が銀色のほうが雌で、真っ黒なほうが雄です。
どうしても思い出せない。/「ノルウェイの森」村上春樹
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 講談社
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初めて読んだ春樹作品はノルウェイの森だった。思春期だったこともあって「か、官能小説だー!」ってそればっかり印象が強くて、以来春樹作品を読むたびに「これはあんまり官能小説じゃないな」「ちょっとだけ官能小説だな」とかそういう感想が先に立つようになってしまい未だに治らない。
あと春樹作品は読んでいるときは楽しくて気持ちよくてグワーと読むのだけれど読み終わると内容も文体も全然思い出せなくなる、これにもまだ慣れない。
有名な「やれやれ」も「スパゲッティ*1」も、小説で読んだときにはちーとも記憶に残っていないので、あとで文体模写コピペを見ては「そんなこと書いてあったっけ……」と狐につままれた気持ちになる。
春樹文学についての「人物や出来事を抽象化し、物語の構造を抽出することに成功して云々」という批評を読んで、ほほうなるほど春樹作品で大切なのはプロセスなのだな、結果や思想は読者に委ねられているのだな、ならば覚えられないのも納得じゃわい、と思ったりするものの、内容を思い出せない感覚はやっぱり不思議体験だ。
夢中で読んだことだけは鮮明に覚えているので尚のこと。
そんなこんなで、私にとって村上春樹は、「面白いのに読み終わったとたん忘れてしまう文章を書く人」という魔術師みたいな位置づけ。
◇◇◇◇◇
※追記※
id:kanimasterさんいつもありがとうございます。